ウラジーミル・ジャンケレヴィッチ Vladimir Jankelevitch 1903年8月31日、フランスのブールジュに生まれる。両親はユダヤ系ロシア人。父親シュムエルは耳鼻咽喉科の医院を営むかたわら、フロイト、ヘーゲルなど数多くの翻訳を手掛けた。 高等師範学校卒業後、1926年にアグレガシオンを取得。プラハのフランス学院で教鞭をとる。32年にはシェリング論で国家博士号を取得。38年にリール大学の講師に就任するが、翌年動員され、ヴィシー政権によって公職追放される。その後トゥールーズでレジスタンス地下活動に身を投じる。終戦後復員し、51年から78年にかけて、パリ大学文学部倫理学担当教授を務めた。85年6月6日、逝去。
ウラジーミル・ジャンケレヴィッチ / 死
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【内容紹介】
人間の永遠のテーマである〈死〉を主題として奏でるポリフォニックな思索世界。
三つのモチーフ〈死のこちら側の死〉〈死の瞬間における死〉〈死のむこう側の死〉の展開によって、完璧に、精妙に演じられる一大交響曲といえよう。
ウラジーミル・ジャンケレヴィッチ
Vladimir Jankelevitch
1903年8月31日、フランスのブールジュに生まれる。両親はユダヤ系ロシア人。父親シュムエルは耳鼻咽喉科の医院を営むかたわら、フロイト、ヘーゲルなど数多くの翻訳を手掛けた。 高等師範学校卒業後、1926年にアグレガシオンを取得。プラハのフランス学院で教鞭をとる。32年にはシェリング論で国家博士号を取得。38年にリール大学の講師に就任するが、翌年動員され、ヴィシー政権によって公職追放される。その後トゥールーズでレジスタンス地下活動に身を投じる。終戦後復員し、51年から78年にかけて、パリ大学文学部倫理学担当教授を務めた。85年6月6日、逝去。
著書『アンリ・ベルクソン』(邦訳、新評論)、『シェリング後期哲学における意識のオデュッセー』、『疾しい意識』、『イロニー』(邦訳、紀伊國屋書店)、『二者択一』、『悪』、『徳に関する概論』、『第一哲学』、『何だか分からないものとほとんど無』、『死』(邦訳、みすず書房)、『どこかで未完のままに』(邦訳『仕事と日々・夢想と夜々』みすず書房)、『還らぬ時と郷愁』(邦訳、国文社)、『道徳の逆説』(邦訳、みすず書房)、『ドビュッシーと神秘』(邦訳、青土社)、『ガブリエル・フォーレ』、『ラヴェル』、『音楽と筆舌につくせないもの』、『最初と最後のページ』(邦訳、みすず書房)など。
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